PLANET DESIRE
Prequel Ⅱ ユーリス

Part Ⅰ


凄まじい衝撃が身体を震わせた。
地の底に眠る魍魎が、暗い深淵の底から湧き出て来るような悪寒。
そして、連中はじっとりと絡みつき、人間を奈落の底へと引きずり落とそうとしているかのように、心の中をいつまでも這いずり回っている。
耳の奥で鳴り続ける波動……。
酷い苦痛と眩暈、そして吐き気……。
快晴の空を覆った光――。
それは人間の裁きを拒む憎しみの光だったのではないだろうか。

「あの光……」
ミアはじっと空を見つめたまま動けずにいた。心の震えが止まらなかった。涙が止めどなく流れた。それを誰も止められない。
「目が治って、見えるようになって、見たくないものまで、見えるようになって……わたしは、どっちへ行ったらいいの? 真実の右目、偽りの左目。それとも、目を閉じて歩こうか。でないと、わたし……」
背後で美しい竪琴の旋律が響いた。
「それは、そなたが望むままに進めばよい」
声を掛けたのは旅の吟遊詩人だった。彼は竪琴を鳴らし続けた。それは、砂漠の風に溶け合って乾いた皮膚に沁み込んで行く……。空の奥深くではまだ、雷鳴のような低い音が響いている。

「闇が鳴いている……」
弾く手を止めて、男が呟く。
「娘よ。おまえは何を知っている?」
男が訊いた。
「何って、その……」
ミアが俯く。
「私はユーリス・バン・ロックと言う」
男が名乗った。剣と弓とを携えたその男は黒髪に銀細工の飾りを留め、丈の短いチョッキにサッシュベルトを巻いていた。
「あなたが……。あの有名なユーリス・バン・ロック様」

その男の名は、吟遊詩人というよりも剣士としての名の方が有名だった。その剣は怪物さえも一撃で倒すという噂だった。
「わたしは、ミア・ジムレイトと申します」
彼女は憧れの目をもってユーリスに挨拶した。
「ジムレイト……。それは、おまえの本当の親なのか?」
男が逡巡したように問う。
「え? ええ。それが何か……?」
ミアが怪訝そうに言う。
「いや、気にせずともよい。どこかで耳にしたような名だと思っただけだ」
ユーリスは風を見て言った。

「そなたの親はやさしかったか?」
「ええ……。でも、何故そのような事をお尋ねになるのです? 本当の親ではないとお思いなのですか?」
彼女が訊いた。
「いや……」
ユーリスは軽く手を振って答えた。
「こういう時代だ。親のない子供も大勢いる。そして、子供を亡くした親達も……。旅の途中、たくさん見て来た」
今は何事もなかったかのようにゆったりと広がっている空に視線を移して彼は言った。

「そなたは、あの光の意味を知っておるか?」
「ええ……。あれは……人を殺す魔物です」
「そうだ。逃れようもない魔物……。人間の手によって作り出されたあれこそが真の怪物なのかもしれぬ」
男は真剣に言った。それは何かを伝えようとしている煌めきを持っていた。
「あの、ユーリス様、一つお願いがあるのですが……」
「お願い? 私に出来る事であれば何なりと……」
「私を弟子にして欲しいのです」
「愛の指南であれば喜んで」
軽く竪琴を鳴らして微笑する彼に、ミアは続けた。

「いいえ。わたしを剣のお弟子にしていただきたいのです」
「何故?」
「わたしの両親は怪物に殺されました。だから敵を……」

――ミ…ア……

一瞬、風に混じってシーザーのしわがれた声が聞こえたような気がした。が、彼女はそれを振り切るように言った。
「お願いです! ぜひ、わたしを……」
そう彼女が言い掛けた時。
「ミア! そいつに近づいては駄目だ!」
ラルフが駆け付けて来て言った。彼は急いで彼女の手を取ると、そこから連れ去ろうとした。
「何をするの? ラルフ、違うのよ。この人は……」
ミアは何かを言おうとしたが、ラルフに遮られた。
「騙されるな。こいつは女たらしで有名な奴なんだぞ」
二人は何やら言い争っていたが、結局ラルフが強引に彼女をユーリスから引き離した。

「ふっ。随分嫌われたものだな」
ユーリスが呟く。
「自業自得だ」
背後から女の声がした。
「軟派師め。このような年端も行かぬ娘にまで手を出そうなどもっての他! 今すぐそこに直れ! 成敗してくれる」
女が剣を構えた。
「おお。愛しの君よ。ラミアン殿ではないか。会いたかったぞ」
ユーリスがうれしそうに言った。


彼らはほんの数刻前、街道で出会った。旅人を襲っては金品を巻き上げている山賊タランチュラの者達に囲まれていた彼女を助けようとユーリスは駆け付けた。

――美しき方よ。このユーリスがお助けしますぞ。安心召され
下心がなかった訳ではなかったが、弱き者を守ろうとする信念だけは本物だった。が、彼が剣を抜くより前にその女剣士は抜刀し、男3人を倒していた。
――何と見事な! 感心致しました。その腕前。さぞや名のある方なのでしょう。私はユーリス・バン・ロックと申します。ぜひとも、そなたの麗しき名を伺いたい
――知っておるぞ。この軟派師め! 汚らわしい! 触れるでない!
――これはまた手厳しい
ユーリスはその手を慌てて引っ込めた。

――だが、少々、誤解が広まっているようだ。私はそのような無礼な者ではない
――では、何故、その手はわたしの腰に触れようとなされた?
――それは、そなたがあまりにもお美しいが故……
――逃れようのない事案だな
そう言うと彼女は先を急ごうとした。ユーリスは彼女に付いて歩き、やたらと話し掛けて来た。彼女は無視し続けた。が、再び仲間を連れて戻って来たタランチュラの一団を、ユーリスは、近くにあった箒1本で撃退した。
――貴様、なかなかやるではないか
ようやくその腕を認めた彼女だったが、まだ男に対する警戒を緩めた訳ではなかった。それでも、礼儀として名を名乗った。

――わたしはラミアン・ローズ。今は無きローザンノーム・シティーから来た
――それは奇遇な……。私もだ。やはり私達は縁があったのだな。そなた、私と一緒に組まないか?
――断る
ラミアンは素っ気なく言った。
――一人で寝るは寂しかろう。私と一緒ならば、昼も夜もそなたを守り、愛の調べを奏でようぞ
その一言で、会談は決裂し、二人は別々の道を歩む事になったのだ。


「まさに夢のようだ。美しきその姿に再び相まみえようとは、まさに我らは運命の糸によって、固く結ばれておるのだな。わたしを惑わす美しき女よ」
「ごたくはいらぬ。迷わず成仏するがよい」
彼女が剣を振り下ろす。が、ユーリスは僅かに一歩左に避けて微笑する。
「おお。剣を握る所作がまた美しい。が、出来る事なら、その手に花束を握らせて、ぜひ、このわたしに愛の言葉の囁きなど……」
「黙れ! 念仏を唱えてやるから覚悟せい!」
もう一度今度は斜めから振り下ろす。
「そなたは知っておるか? あの空に閃く光の意味を」
「意味?」
剣の動きが空中で止まる。それは彼の肩口すれすれの位置だ。しかし、男は微動だにしなかった。余程信頼しているのか、それとも絶対の腕があると自負しているのか、男はじっと彼女を見据える。
「知っている」
ラミアンは答える。
「では、真実の鍵を」
「いや。私が知っているのはあの下で何万もの命が焼かれたのだという事だけだ」
「知らぬのか」
その表情にすっと僅かな影がさす。
「そなたは知っておるのか?」
ラミアンが訊いた。
「探している」
ユーリスが答える。
「そうか。私もだ」
そう言うと彼女はすとんと剣を鞘に収めた。
「我らは本当に運命によって結ばれた者かもしれぬな」
ユーリスが言った。
「戯け! 図に乗るでない。私は……」
彼女がそう言い掛けた時だった。砂漠の門の付近から女の悲鳴が響いた。二人は顔を見合わせるとそちらへ向かって駆け出した。


「怪物だ!」
村人達が息を潜め、離れた建物の影から様子を見ている。その怪物は赤黒く2m程もある巨体で、固い鎧のような皮膚と体毛で覆われていた。体形は人型に近かったが背中に突起物が有り、太く短い尻尾が生えている。その怪物が女を貪り食おうと追い詰めていた。女は赤ん坊を抱えたまま逃げ切れずにしゃがみ込んだ。激しく泣き叫ぶ赤ん坊。すかさず、その背を怪物の腕が襲う。
「だめ! させないわ!」
ミアが剣で切り掛かる。が、固い怪物の皮膚はびくともしない。怪物はミアに襲い掛かった。素早い動きだ。ミアは翻した剣で怪物の二の腕を狙うが、剣は固い皮膚に食い込んで動かなくなってしまった。
「ウウッ!」
怪物は残忍な目で彼女を見つめる。そして自分の腕に食い込んでいる剣を見、それから、ぐいと引き抜き投げ捨てた。彼女は蒼白になっていた。逃げようがなく、武器もなかった。そんな彼女の顔面を鉤爪が襲う。

ズブリッ……!

瞬時に閃く銀色の剣が一旋した。
「下がれ!」
同時に振り上げた怪物の腕が宙に飛ぶ。鮮血が宙に四散し、霧に混じる。憤慨し、狂ったように吠え立てる怪物。闇雲に振り回して来る腕を力強い剣が受ける。
「ユーリス様」
「その者達を早く安全な場所へ……」
ユーリスは言うと拮抗していた力を強引に撥ねのけた。そして、斜め下から怪物の胴体を切りつけた。
「ウガーッ!」
怪物の身体から血が吹き出す。ユーリスは素早く後ろに飛んで血しぶきを避けると低い姿勢から剣先を怪物の喉元に向けて突き立てた。が、怪物も後ろに跳んで致命傷は免れた。が、間髪入れずにユーリスは剣を繰り出し、怪物をミアや親子から引き離した。駆けつけて来たラミアンが3人を避難させる。それを恨めしそうな目で睨む怪物。

「ふふ。どうした? 襲って来んのか?」
ユーリスが挑発する。
「ウガガガ」
怪物は片方だけになってしまった腕を振り回すと激しく突っ込んで来た。が、ユーリスは左右にかわしてその勢いを弱めると右脇から怪物の腹を突いた。ずぶりとした感触。剣を抜くのと同時に血が噴水のように吹き出した。激昂した瞳。その断末魔とも言える叫びは地の底から響くようで、人々を震え上がらせた。憤怒の表情を浮かべたまま最後の力でユーリスを串刺しにしようと鉄の爪を突き立てた。が、彼は跳躍し、上段から勢いよく剣を振り下ろすと怪物の首を寸断した。
辺り一面怪物の血に染まったが、その霧の中に立つユーリスは自信に満ちて、剣に絡んだ血の色さえも彼の勝利を賛美するかのように輝いていた。
「凄い……」
誰もが彼の勇姿に感嘆した。ユーリス・バン・ロック。彼は噂に違わぬ最高の剣の腕を誇る勇者であった。


夜。ユーリスは村人達から盛大な歓迎を受けた。彼が助けた親子は村の重役の奥方とその娘であったのだ。主人は感謝してもしきれぬと金品や宝石まで差し出してきた。が、彼はそれらを丁重に断ると、酒や料理のもてなしだけを受けることにした。ユーリスは上機嫌で飲んだり食べたり歌ったりと、宴会の雰囲気に酔っていた。
「あの……。ユーリス様」
宴が大分落ち着いてきた頃、ミアが話し掛けてきた。
「おお。ミア殿、そなたもわたしに懸想されたか? しかし、残念ながら前にも申し上げた通り、いま少し待たれよ。そなたはなかなか美しい要素を備えておる。恐らくはこの近辺でも1、2を争う魅力的な女になられるであろう。その時には、ぜひ、改めて……」
「そういうお話ではなくて、その……命を助けていただいたお礼がしたいのです」
「礼なら、もう何度も聞かせてもらった。いくら酔ってもこのユーリス、そこまで忘れっぽくはないぞ」
と言って笑う。

「いいえ。言葉だけではなく、わたし、何かお礼を差し上げたいのです。でも、わたしには何もなくて……」
ミアは悲しそうな顔をした。
「ミア殿……。先程も申したであろう。わたしは金品など望んではおらぬ」
ユーリスは少女の肩にそっと腕を回して囁いた。
「わたしが真に望んでおるのは……」
「女か?」
「そうだ」
背後の声に応じて彼はうなずく。
「まさしく今、わたしが欲してやまない君よ。おお、愛しのラミアン殿!」
とろんとした瞳で抱きつこうとした。

「好きだ」
「このうつけが!」
「あたた」
小刀の鞘で叩かれ、ユーリスは顔を顰めた。
「そのように避けなくともよろしいではないか。我らはもう他人ではないのだし……もっとこちらへ来られよ。愛しの君よ。ほら、遠慮せずとも、早くここへ座られるがよい」
ユーリスが示したのは自分の膝であった。
「ふざけるな!」
ラミアンがパシッとその手を打つ。
「ああ、何て事だ。愛する人に嫌われてしまった。ミア殿、わたしを慰めておくれ」
とそちらに体を傾ける。
「あ、あの……」
ミアが困惑していると、ラミアンが彼の襟首を捕まえ、引きずり戻す。
「貴様、酔っておるのだな?」
「いいや。酔ってなどおらぬ。わたしが酒を酔わせておるのだ」
「何をわからぬ事を……」

そこへラルフが来て言った。
「ミア、もう帰らなきゃ……」
「でも……」
何か言いたそうな彼女だったが、ユーリスが笑って言った。
「王子様はお姫様が心配でお迎えに上がったのであります。さあ、姫、魔法がとけるその前にどうぞお戻りください」
「でも、わたしは……」
「そなたの気が済まぬというなら、一つ約束してはくれまいか?」
「何でしょう?」
「そなたが大人になった時、熱く濃厚なキスをわたしに一つくれると……」
「却下!」
二つの声が重なった。ラルフとラミアンだ。ミアはちょっぴり頬を染め、微かにうなずいて見せた。
「では、約束成立だ。おやすみ。未来の君よ」
と言ってユーリスは微笑んだ。
「ミア……」
呆然としているラルフに彼女は言った。
「行きましょう」
「あ、ああ」
「おやすみなさいませ。ユーリス様」
ミアはそう言うと席を立った。

「貴様、どういうつもりだ?」
ラミアンが言った。ユーリスは酒を含んでからゆっくりと彼女を見て言った。
「仕方なかろう。ああでも言わねばあの子は納得すまい。だが、案ずるな。わたしが愛しておるのはそなただけじゃ」
「何という図々しい男だ。とことん根が腐っておるな」
「ハハハ」
ユーリスは意に介さないといった風に笑って杯を傾けている。
「ところで」
彼女は周囲の様子を気にしながら声を潜めて言った。
「何だ?」
「昼間の話だが……ずっと気になっておったのだ」
「わたしもだ」
彼は杯を卓に戻すと頷いた。幸い、彼らの周囲に人はいない。ユーリスはそっとラミアンの耳元に唇を寄せて言った。
「夜、寝所にてはそなたはどちらであられるのか。寝台はやはり天蓋付きがお好みか、それとも………」
「貴様……!」
「ちなみにわたしはどちらでもない。寝所では肌の温もりさえあれば十分なのでな。それに、女子と一緒であれば……」
ジャバッと杯の酒が降り注いだ。
「話したくないのなら結構だ」
ばんっと卓を叩いて立ち上がり、行こうとする彼女の腕を引き止めて、再び席に座らせる。

「何を……!」
「ま、急くな。大事な話はこれからだ。そなたもあれを見たのだろう?」
彼女が頷く。
「中央は何かを隠蔽している。少なくとも、あれは事故などではない」
「だが、中央の発表では……」
「発電所や研究所の暴発的事故だという建て前になっている」
「建て前だと?」
「そうだ。何かを隠蔽するために暴走させ、事故に見せかけて焼いた。そうとしか思えん」
「しかし、何のために……?」
「怪物と関係があるのかもしれぬ」
「怪物と?」
「怪物を絶滅させる為、武器を使ったのかもしれぬのだ」
「まさか……?」
ユーリスはもう一度酒を注ぎそれを飲んだ。

「なら、何故人々まで殺す必要がある?」
「そこだ。わからぬのは……。怪物だけを殲滅するのであれば、人々は安全な場所へ避難させておけばよい。そうしないのには理由がある筈だ」
「そうだな」
ラミアンも酒を注ぎ、一気に飲み干す。
「おお。なかなかよい飲みっぷりだ。さすがはわたしの嫁となるべき女だ」
「殺すぞ」
ラミアンが凄んだが、ユーリスはうれしそうに笑って言った。
「そなたの腕ではわたしは切れぬ」
「怪物め」
「ハハハ。そうかもしれぬぞ。わたしは一度死んで蘇った人間だからな」
「何?」
そんな筈はなかった。が、その瞳の奥に潜む深淵を覗いた時、彼女はぞくりとしたものを感じて背筋が寒くなった。
(この男……)
人並み外れた剣捌き。自信に満ちた不敵な態度。人は彼の事を英雄と呼ぶ。が、その正体を知る者はいない。
(何者なのだ、この男……)

ユーリスはまた杯に酒を注ぎ入れていた。ラミアンはそっとその手を掴む。
「どうした? それ程までにわたしの肌が恋しいか? ならば、今夜ゆっくり……」
「貸せ」
彼女は彼の手から酒瓶を取り上げると、その杯に注いでやった。
「一人で手酌では味気なかろう」
「そうかそうか。では、わたしもそなたに」
と彼女の杯に注ぎ返す。
「では、乾杯しよう。ラミアン殿」
「何のために?」
「無論、わたしとそなたの結婚の儀に……」
「断る」
持ちかけた杯を卓に戻すと彼女は言った。
「一応、血は通っておるようだな」
「何の事だ?」
「死んだ人間なら手が冷たい筈だ」
彼女が真剣に言うのでユーリスは吹き出した、
「何と真面目な……あれは冗談に決まっておろう」
いつまでも笑い転げているユーリスに彼女は膨れた。が、それを見ているうちに彼女は兄の事を思い出して微笑した。
「ユーリス……」

そこへ、女中が追加の酒や料理を運んで来た。
「さあ、どんどんお召し上がりくださいませ」
「いやいや。もう十分にいただいた。今宵は楽しい晩餐を過ごせた。ありがとう」
言って彼は立ち上がった。
「では、寝所へ参ろうか? 愛しき人よ」
ユーリスが彼女の手を取る。
「な……!」
彼女は反論しようとした。が、その手を振り解けないまま引きずられるように通路に出た。

「どういうつもりだ?」
ラミアンが問う。
「原子炉の暴走だそうだ」
声を落としてユーリスが言った。
「アクリアルシティーの外れにあった発電所のシステムが破損したらしい」
「アクリアルだと? ここから近いではないか」
「そうだな。爆発を視認出来る程だ。しかし、避難勧告は出ていない」
「危険ではないのか?」
「中央は既に汚染物質の回収と中和を始めている」
「それにしても……」
「ここは元から中央から見捨てられているのさ」
「どういうことだ?」
「ローザンノーム・シティーと同様にということだ」
そう言ってユーリスはじっとラミアンの顔を見つめた。彼女の瞳に明らかな動揺が走る。
「ユーリス、貴様は何者なんだ?」
「わたしはわたしだ」
「中央から追われているんだろう?」
「ああ」
「一体何をやらかした?」
「何も」
「なら、何故?」
「煙たいのであろう。奴らは知らせたくないようだからな」
「知らせたくない?」
「そうだ。善良で疑うことのない羊達の群れには……」
「村人達か?」
ユーリスが頷く。

「よくわからぬことがある。この村の人々は……。その、あまりに中央と違い過ぎるだろう。それでも尚、怪物が出る危険地域に住み続けるのは何故だ?」
ラミアンが訊いた。
「さあな。だが、砂漠に隣接した周辺の村々は怪物の被害を最小限に留めるための防護壁だ。中央へ侵入されないためのな。村の者達は砂漠に直接繋がる門や塀の事を防護壁だと信じているが、実際は彼らそのものが中央にとっての防護壁となっている。が、それに気が付いている者はほとんどいない」
「確かに……。村の者達は中央のことをほとんど知らぬからな」
「代わりに彼らには別の情報が植え付けられている。かつて行って来た人類の文明に対する驕りが一つの都市を滅ぼした。その悲劇を繰り返さないために人々は文明を捨て、昔のように自然と共に生きる暮らしを選択するのがよいのだと提案された。人々からは賛否両論が巻き起こったが、中央はそれを無視した。そして、強制的に操作して彼らを善良で意志のない羊へと改竄したのだ。必要以上に学ばせず、必要以上に疑問を感じたりしない善良な羊に」
「それは事実なのか?」
「ああ」
ユーリスは頷く。

「そして、中央は彼らから文明の証とも言える機械や知識の源である書物を取り上げた。移動も制限され、砂漠の周囲に住む事しか許されない。が、彼らはそれに対して疑問さえ感じていない。それも中央からコントロールされていたからだ」
「何という事だ……」
ラミアンは憤慨した。と、不意にユーリスが彼女を人気のない角の闇へ引き込んだ。
「な……!」
いきなり強く抱き締めるとその口を手で塞いで言った。
「静かに」
「うう……」
抵抗のしようがなかった。身動き出来ないまま、彼女はじっと耳を澄ます。微かに声が漏れ聞こえて来る。
「ふふ。本当に今日はどうなる事かと思ったよ」
女の声だった。それに男の低い声が答える。
「ああ。まさしく英雄さまさまだな」
それは、聞き覚えのある声だった。ついさっきまでユーリス達にぺこぺこと頭を下げていたあの赤ん坊の両親だ。そこに赤ん坊がむずがり、声を上げる。
「おーら、よしよし。泣くんじゃないよ。せっかく高い金払って手に入れた玉だからね。怪物なんかに殺られたんじゃ割に合わないよ」
下品な声だった。それにいやらしい忍び笑いが続く。

「あれは……?」
ラミアンはようやく解放したユーリスの手を掴む。が、闇の中で彼の表情は見えなかった。
「せっかく勇者さまに救ってもらった金蔓だ。せいぜい稼がせてもらわなきゃね」
と醜悪な笑いと靴音を響かせて、赤ん坊を連れた男女は遠ざかって行った。
「ユーリス……」
が、彼は黙って赤ん坊達が消えた闇を見ている。
「わたしは……そんな事のために救ったのではない」
「ユーリス」
「この世は闇が多過ぎる……」
「そうだな」
ラミアンも同意した。
「わたしは、その闇を晴らすために存在する。真実を明らかにし、すべての人間が愛に満ちた幸せな日が送れるようにと願う」

「それは大層立派な心構えだが……」
とラミアンは言った。
「まず、どさくさに紛れて私の尻と胸に触れている手を引っ込めるがよい。さもなくば……」
「さもなくば?」
「斬る」
ラミアンがさっとその腕から逃れ剣を抜く。ユーリスは大げさに飛び退いて笑う。
「言ったであろう。わたしはすべての女子をこの愛で満たす。それにはまずここにいるそなたを幸せに……」
「うるさい! いらぬお世話だ」
「我らなら、契りによって生まれた赤ん坊は愛ある赤ん坊だ。きっとそなたに似た美しい娘になるだろう」
「いらぬわ! とっとと立ち去れ!」
「では、期が熟するのを待とう。そなたの胸がわたしを受け入れ、もっと大きく膨らみを増すまで……」
そう言うとユーリスは笑いながら闇の中へ立ち去った。

「くっ! あやつめ、勝手な事を……」
ラミアンは鞘に剣を仕舞うと星のない闇の空を見た。
「確かに……。この世には闇が多過ぎるかもしれぬな。それにしても、ユーリス、おまえは一体、何者なんだ? そして、何を知っている? いや、何を成し遂げようとしているのか……」
何もかもが混沌としている闇の中で、砂漠で吼える怪物の声が、呪いのようにいつまでも村全体に木霊していた。